賀篭沢遺跡の概要と発掘調査の目的


賀篭沢遺跡の発見と 東北歴史資料館による確認調査

 賀篭沢(かござわ)遺跡は、仙台市の中心部から南西に約20kmに位置する宮城県柴田郡村田町に所在します。地形的には村田盆地の東縁の高館丘陵にあり、その西端を流れる白石川支流の新川の東岸に位置しています。

 1990年頃に高橋健寿・藤原二郎氏らによる踏査によって発見され、これまでに約1,500点の石器が採集されて来ました。採集された石器はほとんどが玉髄を素材とするもので、大量の剥片・チップ、石刃、石核、石刃核と少数のナイフ形石器、スクレイパーなどです。

 石器組成と製作技術から、賀篭沢遺跡で出土した石器は後期旧石器時代のものと考えられます。また、賀篭沢遺跡の立地する新川流域の第三紀凝灰岩層中には瑪瑙・玉髄系石材が豊富に埋蔵されており、これらの原産地に立地して石器製作を行なった原産地遺跡と考えられます。

 1993年の東北歴史資料館による賀篭沢遺跡の確認調査では、多数の剥片・チップ、石核のほか、わずかにナイフ形石器、エンドスクレイパー、彫刻刀形石器が出土しました。


新川流域に形成された 玉髄原産地遺跡群での石器製作


賀篭沢遺跡の位置
 このような玉髄原産地に立地する遺跡は、天田(あまだ)・百々目木(どどめき)遺跡、山入A遺跡、一子沢(いちこざわ)遺跡など新川流域に8ヶ所ほどが確認され、新川流域遺跡群を形成しています。

 後期旧石器時代の原産地遺跡と言えば北海道白滝遺跡群、長野県鷹山遺跡群などの黒曜石原産地遺跡や、佐賀県多久三年山遺跡、広島県冠遺跡群、香川県国分台遺跡群、奈良県二上山遺跡群などのサヌカイト原産地遺跡が広く知られています。

 これらの原産地では何れも多量の石材を安定的・継続的に供給し、遺跡の規模も大きくなりやすいのに対して、新川流域に産出する玉髄は直径1〜2m大の原石が広範囲に点在し、石材の産出状況を異にしています。新川流域の玉髄原産地遺跡群では、こうした石材の点的な分布に適応した遺跡が形成されていることが予想されます。

 賀篭沢遺跡や一子沢遺跡で採集された石器を観察すると、石刃剥離にからむ大量の剥片・チップ、石核に対して、整った石刃やこれを素材とするナイフ形石器などのトゥール類がかなり少ないことが指摘できます。このことは、石刃やトゥール類がほかの場所に持ち出された結果を示していると考えられます。

また、賀篭沢遺跡では断面採集により黒曜石製のナイフ形石器と、確認調査で多数の黒曜石のチップが出土しています。この黒曜石は肉眼観察では、遺跡から北西に約4km離れた谷山地区で産出するものに類似しています。これまであまり周知されていなかった谷山地区の黒曜石も黒曜石原産地のリストに加え、蛍光X線分析によって賀篭沢遺跡から出土した黒曜石と比較検討していく必要があります。


東北学院大学による 賀篭沢遺跡の発掘調査


調査区配置図と基本層序図
 東北学院大学文学部歴史学科(2005年4月より史学科から変更)佐川ゼミナールでは、このような新川流域遺跡群の重要性に鑑み、2003年度より賀篭沢遺跡の発掘調査を行なってきました。賀篭沢遺跡は新川流域遺跡群の遺跡分布の中心部に位置し、これまでに最も多くの採集資料が得られています。遺跡は新川東岸に位置し、新川に向かって東から西に張り出す痩せ尾根状の丘陵の先端部に立地しています。

 遺跡の西側半分は1990年頃の造成によって削平されましたが、この際に石器が採集され、遺跡発見の契機となりました。1993年の東北歴史資料館による試掘調査では、削平によって形成された東側地区との法面に小規模な調査区(以下、東歴確認調査区)を設定し、石器の出土が確認されています。東北学院大学では、後世の削平の影響がなく、地層が良好に保存されていると予測される東側地区を対象に発掘調査を行なっています。

2003年度の発掘調査  @東側地区における石器の分布状況と出土層位の確認と、A石器群の年代確定(鍵層を含むテフラの検出と理化学的年代測定の実施)を主な目的として、3×3mの調査区3か所と層序確認用の深掘区1か所などを設定して発掘調査を行ないました。

 
L-15区4層上面出土のナイフ形石器
 この結果、主に東歴確認調査区の東側に設定した調査区で石器の出土を確認しました。出土した石器はナイフ形石器1点、ピエスエスキーユ1点、石刃核4点、石核2点、石刃1点、剥片・チップ21点で、すべて玉髄を素材としています。ナイフ形石器は玉髄製の石刃を素材とするニ側縁加工で、茂呂型ナイフ形石器の範疇に入るものと考えられます。

 また、これらの石器の包含層は4層の粘土ブロック混じりの黄褐色粘土層であることが確認されました。表土層からも石器が出土しましたが、これらの表面には黄褐色土が付着していることから、本来4層に包含されていたものが、西側地区の造成以後に投棄されたものと推定されます。

 出土層位と加工技術から、出土した石器はすべて後期旧石器時代のものと考えられます。これらの石器群の年代確定のため、奈良教育大学教授の長友恒人氏および奈良大学大学院の下岡順直氏による理化学的年代測定のための土層サンプリングならびに検定棒の埋設が行なわれ、現在測定中です。

2004年度の発掘調査  @2003年度の発掘調査で石器が出土した調査区と東歴確認調査区の間に調査区を設定し、石器ブロックの広がりを確認すること、A東側地区全体に1×1mの試掘区を17か所設定して石器分布の広がりを確認すること、B西側造成地に隣接して南北方向に表土層の調査区を設定して西側造成地から投棄された石器の分布範囲を確認し、西側造成地に存在した石器ブロックの大まかな位置を推定する材料を得ることを主な目的として発掘調査を行ないました。


南北トレンチ2・3区4層の石器出土状況
 この結果、新たに196点の石器が出土しました。前年度の発掘調査で石器が出土した調査区と東歴確認調査区の間に設定した調査区では3・4層から38点の石器が出土し、石器ブロックの広がりが確認されました。17か所の試掘区では石器の分布は確認できませんでしたが、3層の黄褐色粘土層から縄文時代早期後葉の梨木畑式土器が出土しました。表土層の調査では、西側造成地から投棄された石器85点が、現在までに4層で検出している石器ブロックと重複ないしは隣接する範囲に認められました。このことは、これまでに採集された資料を含め、西側造成地にかつて存在した石器ブロックと、今回の調査で検出している後期旧石器時代の石器ブロックが一連の分布をなしていたことを示していると考えられます。今後接合作業などを通して検証していく必要があります。

 2003・2004年度の発掘調査によって確認された遺跡の基本層序は、1層:表土、2層:暗褐色腐植土、3層:黄褐色粘土、4層:粘土ブロック混じり黄褐色粘土、5層:粘土ブロック混じり明褐色粘土、6層:褐色粘土、7層:風化スコリア、8層:川崎スコリア(2.6〜3.1万年前)、9層:暗褐色砂質粘土、10層:黄褐色砂質粘土、11層:褐色砂質粘土、12層:愛島軽石(5〜8万年前)となります。2層では弥生時代の土器、3層では縄文時代早期後葉の梨木畑式土器が出土し、後期旧石器時代の石器は4層を中心に出土しています。


新川流域遺跡群をめぐる 後期旧石器時代の遊動生活


賀篭沢遺跡付近で見られる玉髄原石の産状
 賀篭沢遺跡でこれまでに採集された石器の点数(約1,500点)と、東北学院大学による発掘資料の点数(226点)、そして推定される石器ブロックの範囲からみて、遺跡の規模は原産地遺跡として大規模なものではありません。また、賀篭沢遺跡においてはこうした石器ブロックが群集する状況にもないことが確認されました。この背景には、新川流域における玉髄原石の前述のような散漫な分布状況が関係していると考えられます。

 黒曜石原産地に形成された北海道白滝遺跡群や、サヌカイト原産地に形成された奈良県二上山遺跡群のように、大規模な石材原産地では、石材が安定的・継続的に採取可能であることから、石器製作活動が長期間にわたって営まれるケースが多くみられます。新川流域の玉髄原産地に形成された賀篭沢遺跡は、発掘調査で明らかになっている遺跡の規模と、石器組成や石刃剥離の技術形態からみて、後期旧石器時代のごく短期間に営まれた蓋然性が高いと考えられます。

 新川流域では、後期旧石器時代のナイフ形石器文化期のごく短期間に、河川による開析作用や表層崩壊などの自然営力によって点々と露出した玉髄原石を狙って集中的に石器製作活動が行なわれたと考えられます。石器製作は露出した原石を消費し尽くすまで行なわれ、珪質頁岩などの遠隔地石材が搬入される状況はないため、形成される遺跡の規模は露出した原石の量と大きさによって規制されていると言えます。

 東北地方南部の太平洋側に位置する新川流域では、日本海側の珪質頁岩にあまり依存しない、在地の特定石材を利用して集中的に石刃剥離とナイフ形石器の製作を行なう原産地遺跡が形成されていたことが明らかになってきました。新川流域で製作された石器は新川流域を取り巻く周辺地域に持ち出され、遊動生活の中で珪質頁岩と近傍の在地石材とを組み合わせた計画的な石材運用がなされていた可能性があります。

 2005年度の発掘調査においては、これまでに確認している石器分布の広がりを確認し、石器ブロックの完掘を目指します。また、出土した石器について接合作業を含めた検討を進め、本遺跡における石器製作技術を明らかにしていく予定です。さらに、新川流域における玉髄原産地と原産地遺跡、そして新川流域から石器が持ち出されたであろう周辺地域の遺跡の踏査を進め、新川流域遺跡群をめぐる後期旧石器時代の遊動生活の実態を明らかにしていきたいと考えています。

(2005年7月、佐川正敏・大場正善・鈴木雅・安倍奈々子)

PDF形式(1.94MB)

戻る