賀篭沢遺跡2003年度発掘調査の成果


佐川 正敏・大場 正善
(東北学院大学佐川ゼミナール)

I 遺跡の位置と従来の調査(Fig.1)

遺跡の概要 宮城県柴田郡村田町賀篭沢(かござわ)遺跡は、村田盆地の東縁にあたる高館丘陵の西麓を流れる白石川支流の新川(にっかわ)東岸に位置し、北が賀篭沢、南が一子沢に挟まれた東西方向に舌状に張り出す丘陵の尾根上に立地する(Fig.1)。
 本遺跡では、これまで藤原二郎・高橋健寿氏らによって1500点近くの石器が採集された。採集された石器は、大量の剥片・チップ、石刃、石核、石刃核と数点のナイフ形石器、スクレイパーなどである(Fig.6〜8)。この採集された石器のほとんどは玉髄製の石器であり、採取された珪化木の中心部のより珪化した玉髄部分が石器の原料となり、集中的な石器製作が行われている。

Fig1. 賀篭沢遺跡の位置
仙台市近郊では、第三紀に形成された凝灰岩や亜炭層中に珪化木が含まれることが多く、村田町にもこのような珪化木埋蔵地が複数存在する。村田町では、珪化木埋蔵地に隣接する遺跡が新川を中心として原産地遺跡(仮称:新川遺跡群)を形成している(Fig.1、原産地:馬ノ爪(こまのつめ)、荒屋敷、樋ノ口(とよのくち)、愛宕山、唐沢山、小滝、小泉東山、寒風沢(かんぷうざわ)、大道、無刀関(むとうぜき)など。遺跡:賀篭沢、天田(あまだ)・百々目木(どどめき)、山入(やまのいり)A、一子沢(いちこざわ)、一子沢A 、寒風沢、無刀関B)。このほか、賀篭沢遺跡、一子沢遺跡などでは旧石器時代の石器以外に、縄文・弥生時代の石器・土器が少数採集されている。しかし、縄文・弥生時代の石器の石材は頁岩がほとんどで、玉髄があまりみられない。時代によって石材利用の傾向に大きな変化が認められそうである。

従来の調査 賀篭沢遺跡が所在する尾根上では段状の造成が行われ、そこで藤原氏らは大量の石器を採集している。さらに藤原氏らは、1993年に黒耀石製のナイフ形石器を断面採集している。それに基づいて、旧東北歴史資料館は同年に本遺跡で面積6uの確認調査を行い、多数の剥片・チップ、石核のほか、わずかにナイフ形石器、エンドスクレイパー、彫刻刀形石器が出土している(阿部・山田1994)。



II 今回の発掘調査(Fig.2〜5)

i 調査の目的

 東北学院大学文学部史学科佐川ゼミナールは村田町教育委員会および地権者・菊田行衛氏、藤原二郎氏の協力の下、賀篭沢遺跡の発掘調査を2003年8月12日〜8月24日まで行った。
 調査目的は、@旧石器を含む各時代の出土層位を確認すること、A遺跡の広がりを確認すること、B石器群の年代を確定すること(鍵層を含むテフラの検出と年代測定の実施)、C玉髄利用との係りで遺跡の性格を把握することを主たる柱とする。

ii 調査の経緯

調査区の位置 今回の調査は、造成が及んでいない地点を選択し、1993年の調査区の東隣に、3×3mの調査区を3ヶ所(G15、I14、L15・16)と1.5×1.1mの調査区を1ヵ所(L16)設定した(Fig.2 )。面積は28.65uとなる。G15で3層上面、I14で4層上面、L15・16(Fig.5)で5〜6層上面まで掘り下げた。また1.5×1.1mのL16では2層上面を検出した。

層序 3ヶ所の調査区と、P12の 層序確認調査区の地層を総合すると、基本層序は、1層 表土、2層 腐植土:縄文・弥生時代の遺物包含層、3〜5層 黄褐色粘質土:旧石器時代の包含層、6層、8層 川崎スコリア層(Za−Kw、2.6〜3.1万年前:板垣ほか1981)、11層 愛島軽石層(5〜8万年前:佐藤1986、市川1986、輿水1986)となる。本調査では14層まで確認したが、いまだ礫層、基盤層には達していない(Fig.3)。なお、6層は色調からみて、暗色帯の可能性がある。

iii 調査結果

出土遺物 今回の調査では、石器が30点、縄文・弥生土器が200点、礫などが18点出土している。石器の内訳はナイフ形石器1点、ピエスエスキーユ1点、石刃核4点、石核2点、石刃1点、剥片・チップ21点である。今回の調査では、まとまった石器群(ブロック本体)の検出には至っていない(Fig.5)。石材は、すべて玉髄製である。なお、旧東北歴史資料館が1993年に調査した際に出土した黒耀石製の石器は、今回出土しなかった。
 今回の調査でもっとも重要な石器は、L15の4層から出土したナイフ形石器である(Fig.4)。玉髄製の石刃を素材としている。左側縁全体と、右側縁下3分の1にブランティングを施す。加工の度合いは大きく、素材を大きく断ち切っている。また、素材の打面は残らない。左側縁のブランティングは、中間から錯交状になる。右側縁のブランティングは、一部直交剥離となる。腹面のバルブは、左方向からの剥離により除去される。先端部は折れている。形態と加工方法から考慮すれば、「茂呂型ナイフ形石器」の範疇に入るものと考えられ、石器群の年代を考察する上で参考となる資料である。
 なお、縄文・弥生土器は小破片であり、この時期の石器や遺構が検出されていないので、賀篭沢遺跡は当該時期の主たる包含地とはいえない。1層から出土した石器や採集された石器にも、その表面に3〜5層起源の黄褐色粘質土がわずかに付着している。したがって、今回出土した石器のほとんどが、旧石器時代に帰属する可能性が高い。また、今回奈良教育大学・長友恒人氏および奈良大学大学院・下岡順直氏に年代測定を依頼し、サンプリングならびに検定棒の打ち込みが行われた。また、テフラ分析用のサンプリングも実施した。

Fig.2 2003年発掘調査区の位置



Fig.3 基本層序模式図


Fig.4 出土した石器


Fig.5 L15・16区出土石器の
平面・垂直分布図


III 採集された石器(Fig.6〜8)

 ここでは、過去に賀篭沢遺跡で採集された遺物(村田町教育委員会保管)のうち、石器について紹介する。

石器 Fig.6−1・2は、断面採集による黒耀石製で剥片素材の小型二側縁加工ナイフ形石器である。2は上半分が折れている。3は玉髄製で石刃素材の先端部加工ナイフ形石器である。4・5は玉髄製で剥片素材のスクレイパーである。6は玉髄製の稜付き石刃である。7・8は玉髄製の石刃である。9は玉髄製の、稜形成の際に剥離された可能性がある横長剥片である。Fig.7−1・2は、玉髄製で剥片素材の単設打面石刃核である。大型の板状剥片を素材とし、両者とも自然面と1はポジティブな剥離面、2は節理面を大きく残す。木口に作業面を設定して石刃を剥離している。石刃剥離の際には稜上調整、打面調整が施される。3は流紋岩製で円礫素材の単設打面石刃核である。Fig.8−1は玉髄製で分割礫素材の石刃核である。打面は上下にみられるが、石刃は両者が交わるようには剥離されていない。2は玉髄製の石刃と剥片の接合資料である。2点とも平坦打面である。3は玉髄製の石刃2点と石刃核1点の接合資料である。打面は上下に設定され、打面調整が施されている。

賀篭沢遺跡の黒耀石製石器と谷山地区の黒耀石 本遺跡で出土している黒耀石の特徴は黒色と灰色が筋を成し、わずかに0.5mm以下の斑晶がまばらにみられる。
 本遺跡の北西約4km離れた谷山地区では、ここを流れる荒川において同じ特徴を持った1〜6cm大の円礫の黒耀石が採取されることから、この付近に本遺跡で使用された黒耀石の産出地が存在するものと想定される。ただし、谷山地区の黒耀石は、十分に認知されていないので、本遺跡から出土した黒耀石製石器と谷山地区原産の黒曜石に対して、今後蛍光X線分析による比較検討を行うことが必要になろう。

小結  賀篭沢遺跡では、今回発掘調査を行った地点の西側の造成地において、1500点近くの石器が採集されている。石器石材のほとんどが珪化木中に含まれる玉髄で、ほかに少量の黒耀石、流紋岩などがある。板状剥片素材の石刃核が多く、このほか、礫・分割礫を素材とした石刃核や不定形剥片を剥離した石核も採集されている。石刃は基本的に単設打面から剥離されているが、頻繁に稜を利用しているので、結果として打面転位が行われている。調整技術は、稜上調整・打面調整などが顕著である。

Fig.6 賀篭沢遺跡採集の石器(1)



Fig.7 賀篭沢遺跡採集の石器(2)



Fig.8 賀篭沢遺跡採集の石器(3)



IV 賀篭沢遺跡の旧石器の特徴と編年的位置づけ

 今回の発掘調査で出土した石器および、過去に採集された石器を総合し、賀篭沢遺跡の旧石器の特徴とその位置づけについて述べる。

i 石材・珪化木(玉髄)の採取方法

 頁岩、流紋岩は転石であるのに対して、珪化木はすべて角礫であり、河川から採取されたものではないと考える。周辺地域では、第三紀の地層が露出している崖や表層など、珪化木が剥き出しになっていることが多く、こういった場所からの採取が考えられる。賀篭沢遺跡の立地する尾根の山頂付近(一子沢A遺跡の北側)の道路の切通しには、幹の太さが60cm大の珪化木が埋蔵しており、また村田町歴史みらい館に展示されている1mを優に超える原石の大きさから推察すれば、相当大きな母岩も獲得することができた。したがって、当時の人びとは河川を移動経路とし、そこで採取される石材を利用しながら、同時に珪化木を集中的に探し求め、これを積極的に利用したことが想定される。また、採掘(坑)による採取の可能性も考えられる。

ii 剥片剥離技術とトゥール生産

 主として本遺跡で採集された石器を観察した結果、石刃技術に関する石器が多く存在し、石刃や剥片を元にトゥール類が製作されていることが判った。とくに本遺跡の石刃技術は特徴的で、板状剥片を石核素材とし、稜上調整・打面調整・頭部調整が顕著に行われるものが多い。板状剥片が特徴的に多い理由としては、石刃剥離に板状剥片が適していることに加えて、大型の珪化木原石から玉髄部分を取り出すために、原石の分割が行われ、この際に板状剥片が得られたことが想定される。
 石刃剥離は基本的に単設打面で行われるが、剥片素材の石核は、素材の稜を利用するために、打面転移が頻繁に行われる場合がある。また稜上調整は、素材の腹面か背面の1面のみを打面として施されるものが多く、交互剥離をしているものが少ない。さらに、石刃剥離の途中で作業面にステップが起きた場合でも、ステップ除去のため横方向からの稜上調整が臨機的に施される。石刃核の打面部分は、石刃剥離おいて打撃位置を設定するために細かい調整剥離により、打撃位置を盛り上げるように調整が施される。頭部調整は、打面調整により省略される場合がある。また、打面再生が行われる場合もある。
 黒耀石製ナイフ形石器の素材に剥片が選択されたのは、黒耀石の原石自体が径1〜6cm四方、であり、石刃が剥離できなかったことが原因であると推測する。
 ナイフ形石器は主として石刃を素材とし、二側縁・一側縁・先端部加工が施される。スクレイパーは剥片を素材としている。いまのところ明確なエンドスクレイパーと彫刻刀形石器は、本遺跡中には存在しない。

iii 周辺関連遺跡の編年的位置づけ

宮城県南部の石器群(Fig.9) 宮城県南部の後期旧石器時代の石器群をまとめてみたい。まず、仙台市上ノ原山遺跡では、川崎スコリアの下位の7・8層より玉髄製のペン先形ナイフ形石器を含む、数点の石器が出土している(仙台市教委1995)。また同遺跡では、川崎スコリア上位の5・6層より東山系石刃石器群が出土している。
 AT火山灰との関連から追究できる石器群としては、仙台市山田上ノ台遺跡5・6層(仙台市教委2003)、富沢遺跡27層(仙台市教委1992)が上げられる。山田上ノ台遺跡では、在地石材を豊富に用いてこれらを分割し、石刃、基部加工ナイフ形石器を製作する石器群が出土している。石器包含層の中心は6層であり、AT降灰層準が7層上部から6層にかけてと推測されているので、石器群の年代は、AT火山灰降灰期ないしそれ近い時期の可能性があるとされる。

Fig.9 宮城県南部の主要遺跡の層序模式柱状図
富沢遺跡では、遠隔地石材である珪質頁岩製で、打面を残した二側縁加工ナイフ形石器と、珪質細粒凝灰岩製の基部加工ナイフ形石器をもつ石器群が出土している。使用石材の90%近くが在地石材で、石刃が剥離されているが、あまり縦長志向ではない。周辺地点の層序との対応関係から、旧石器包含層はAT火山灰よりも上位にあることが判明している(太田1995)。なお、26層中の樹木のC( 14)年代は、23,010±B.P.である。
 名取市野田山遺跡では、川崎スコリアと浅間板鼻黄褐色軽石(As−YP、1.3〜1.4万年前:新井1962、町田・新井1992)の間から東山系石刃石器群が出土している(名取市教委・宮城県病院局2002)。技術的な観点からナイフ形石器文化段階後半期の石器群として位置づけられている。川添東遺跡では、珪質頁岩と石英安山岩質凝灰岩製の石刃を主体とした、二側縁加工ナイフをもつ形石器石器群が出土している(仙台市教委1997)。旧石器包含層下位にある有機質粘土層に含まれていた木片のC( 14)年代は、15,910±90年である。
 このほか、二側縁加工ナイフ形石器が表土層から出土した名取市西野田遺跡(宮城県教委1974)、基部加工ナイフ形石器が採集されている仙台市青葉山A遺跡(東北大学埋蔵文化財調査委員会1986、仙台市教委1990)、蔵王町持長地遺跡(宮城県教委1980)、二屋敷遺跡(宮城県教委1985)がある。蔵王町前戸内遺跡、下別当遺跡(蔵王町史編纂委員会1987)、白石市高野遺跡など(白石市史編纂委員会1976)では尖頭器が採集されている。白石市小菅遺跡、戸谷沢遺跡(白石市史編纂委員会1976)では局部磨製石斧が採集されている。また、仙台市青山二丁目B遺跡(原河1997)では石刃が、青葉山C遺跡(東北大学埋蔵文化財調査委員会1986)では石斧と剥片が、蔵王町鉄砲町遺跡(蔵王町史編纂委員会1987)では石刃素材の彫刻刀形石器が採集されている(福島県教委1983)。

Fig.10 宮城県南部の後期旧石器(仙台市教委1992・1995・1997・2003、名取市教委・宮城県病院局2002)

宮城県外での類例 宮城県外では、福島県塩坪遺跡(福島県教委1983)、三貫地遺跡(福島県教委・(財)福島県文化センター1987)、秋田県鴨子台遺跡(秋田県教委1992)、武蔵野台地Y層〜W層上部、相模野第U期後半〜第W期前半の石器群との類似性が指摘できるだろう。とくに福島県三貫地遺跡は、本遺跡と同様に珪質頁岩の産出しない太平洋側に位置し、在地の流紋岩を使った石器群である。三貫地遺跡は神山型彫刻刀形石器を組成するものの、二側縁加工・先端部加工ナイフ形石器を主体とすることや剥片剥離技術の点で、賀篭沢遺跡と多くの共通点がみられる。また、典型的なエンドスクレイパーを組成しない点でも共通する。


Fig.11 三貫地遺跡の位置  Fig.12 三貫地遺跡の石器出土状況(福島県教委・福島県文化センター1987)

Fig.13 三貫地遺跡出土の石器(福島県教委・福島県文化センター1987)

iv まとめと展望

賀篭沢遺跡の年代 本遺跡のナイフ形石器は二側縁加工・先端部加工が主で、東北地方に一般的に分布する、いわゆる珪質頁岩を主要石材に用いた石刃素材の「杉久保型」や「東山型」などの基部加工ナイフ形石器は、いまのところ認められない。したがって、石器群の系譜的な点からいえば、東北地方の石器群よりも、三貫地遺跡のような福島県以南にみられる石器群との関連性があるのかもしれない。
 ただし、東北地方において基部加工ナイフ形石器石器群と二側縁加工ナイフ形石器群は、層位的出土事例はなく、両者の関係は不明であるといわざるを得ない。そのため、東北地方における二側縁加工ナイフ形石器の編年的な位置づけに関しては、南関東地方の編年との対比によって、位置づけられているのが現状であろう(佐藤1992、藤原編1999)。
 本遺跡で行う年代測定やテフラ分析は、本遺跡の石器群の年代を確定するだけはなく、東北地方における二側縁加工ナイフ形石器群の編年的位置づけを行うためにも、重要な意義をもつものである。

東北地方太平洋側における原産地遺跡として 本論は新川流域遺跡群の多くの採集資料に基づいていることからまだ試論の段階であり、珪化木原石の入手方法、採集品で想定された剥片剥離技術については、今後発掘資料で実証することが必要となる。
 新川流域遺跡群では大量の剥片・チップ、石刃、石核に対して、ナイフ形石器などのトゥール類がごく少量であり、「原産地遺跡」からトゥール類を持ち出した「遠隔地遺跡」が存在するだろう。想像の域は脱しないが、狩猟採集にともなう計画的な回帰性の遊動生活においては、新川流域が石材補給地として成り立っており、そしてその周辺には、消費地(ワークキャンプ)としての遠隔地遺跡が複数存在していたことも想定される。いまのところ、回帰性の遊動生活の始発点である原産地遺跡のみが確認されているだけである。したがって、同時に多くの玉髄製石器を伴う遠隔地遺跡を探しながら、今後はまず珪化木埋蔵地の分布を探索し、珪化木石材の産地同定に関する方法論を検討し、そのうえで搬入先となった遺跡の追求、特定を行なっていきたい。
 本論では深く触れなかったが、本遺跡群では玉髄製の石鏃や石匙などの縄文・弥生時代の石器はほとんどみられない。このような、旧石器時代と縄文・弥生時代における石材利用の違いも大きな課題である。



参考文献
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Ph.1 調査前(北から)

Ph.2 G-15完掘状況(西から)

Ph.3 I-14完掘状況(西から)

Ph.4 L-15・16完掘状況(南から)

Ph.5 埋め戻し状況(南から)

Ph.6 出土石器

賀篭沢遺跡2003年度発掘調査の成果(PDF形式・1.16MB)

(2004.07.26更新)
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